刺激
刺激とは、自ら活動することで得られるものだ。
それは心を揺さぶり、さらに求めるか、あるいは拒むかという選択を生む。
しかし、僕たちはどうしようもなく、常に刺激を求めてしまう生き物らしい。
面白いもので、たとえそれが不快なものであったとしても。
そうして、常に刺激を渇望し、それなしではいられなくなる。
立ち上がる、寝返りを打つ、テレビをつける、スマホを触る……。
おそらく、5分と同じ姿勢を保つことすら、僕たちには難しい。
常に目を動かし、耳を澄ませ、指を動かし、鼻に触れる。
そうした当たり前の刺激に慣れてしまうと、より強い刺激を求めるようになる。
「何か、面白いことないかな」
ある人が言っていた。
「お金持ちは、地位も名誉も物欲も、すべてが容易に満たされてしまう。だからこそ、常人には計り知れないような刺激を求め始めるのだ」と。
エ〇ス〇イン事件などは、その最たる例だろう。
僕たちは、常に何かしらの刺激を求めている。
その刺激は、自ら動くことで生まれ、肌で感じることができる。
どんなに小さく、微かな刺激であっても、それが「有る」か「無い」かでは決定的に違う。
だから欲してしまう。
都市伝説のような話に惹かれるのは、自ら動かずとも刺激を得られるからだ。
そして、何も起こらなかった事に落胆してしまうのは、刺激を他人任せにしているからに他ならない。
刺激を得るためには、自らが動くこと。
大きな刺激が欲しいなら、普段はしないような場所へ。
ささやかな刺激でいいのなら、ただ外へ踏み出すだけでいい。
刺激は常に、自らの手で掴み取るもの。
