モラルハラスメント

人はなぜ他人を責めてしまうのか。

なぜ、あれほど強く正しさにこだわってしまうのか。

 

振り返ってみると、その答えはとてもシンプルで、しかし深いところにあるものだった。

 

以前の自分は、どこかで常に「自分は足りていない」という感覚を抱えていた。

上手く出来ない、認められていない、価値がない・・・

そうした感覚があり、とても不安定で、苦しかった。

だから、それを感じないために無意識に防御をしていたのだと思う。

 

防御の一つが「正しさ」だった。

自分は正しい

相手が間違っている

そう思うことで、かろうじて自分の価値を保っていた。

しかしそれは本当の意味での強さではなく、崩れないように必死で固めた鎧のようなものだったのだと気づく。

 

否定されてきた経験は、思っている以上に深く人の中に残る。

「そのままではダメだ」という刷り込みは、自分を守るための過剰な反応を生み出す。

そしてその反応が、結果として他者を否定する形で現れることがある。

 

いわゆるモラハラ的な振る舞いも、その延長線上にあると考えると腑に落ちる部分が多い。

 

本質はとてもシンプルで、「自分の弱さを認められない」という一点に集約される。

弱いと思われたくない

価値がないと思われたくない

だから強く見せる。

だから正しさにしがみつく。

だから相手を下げることで自分を守ろうとする。

 

しかし、自分の中で何かが変わり始めると、その構造も少しずつ崩れていく。

自分自身が認められる経験、必要とされる経験を積み重ねることで、内側に小さな「大丈夫」が生まれてくる。

その感覚が増えていくほど、人は他人を責める必要がなくなっていく。

 

整体という仕事に携わる中で、誰かの役に立てているという実感や、目の前の人からの信頼を感じる場面が増えていった。

それは単なる評価ではなく、「自分はここに居て良い」という感覚を少しずつ育ててくれたように思う。

すると不思議なことに、他人の考えを受け入れる余裕が自然と生まれてきた。

 

以前であれば反発していたような意見にも、「そういう見方もあるのか」と感じられるようになった。

それは思考が変わったというより、自分の内側の安定が変わった結果だと感じている。

 

つまり、他人を受け入れられるかどうかは、相手の問題ではなく自分の状態に依存している部分が大きい。

 

ここで一つ大切な視点がある。

それは、「認められること」は確かに大きなきっかけになるが、それだけに依存するとまた不安定さが残るという事。

なぜなら、外からの評価は常に変動するものだからだ。

 

本当の意味で安定していくためには、「できる自分」だけでなく「できない自分」も含めて認めていく必要がある。

うまくいっている時だけ価値があるのではなく、うまくいかない時でも存在していい。

この感覚が少しずつ育っていくと、鎧は自然と必要なくなっていく。

 

モラハラのような行動は、特別な人だけの問題ではなく、誰の中にも起こりうる構造だと思う。

それは「悪い性格」ではなく、「自分を守ろうとした結果の歪み」でもある。

そう捉えると、自分自身に対しても他人に対しても見方が変わってくる。

 

だからこそ重要なのは、「何に取り組むか」だと思う。

それは単に評価を得るためではなく、自分が納得できる形で価値を感じられる取り組みであること。

その積み重ねが、自信というよりも「自己信頼」に近いものを育てていく。

 

そしてその状態に近づくほど、人は他人をコントロールしようとしなくなる。

相手を責める必要もなくなる。

結果として、モラハラ的な振る舞いは自然と消えていく。

 

結局のところ、人との関係の質は、自分自身との関係の質に比例しているのかもしれない。

外を変えようとする前に、内側の構造に気づき、少しずつ整えていく

そのプロセスこそが、本当の意味で人間関係を変えていく力になるのだと思う。

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