別の自分
朝、武田鉄矢のラジオを聴きながら掃除をしていた。
すると、とある男性の話をしていた。
その男性とは交通事故か何かで意識不明となった人の話。
その男性は事故後30数日後に目が覚めたと言う。
そうして近くに居た看護師に「今日は何月何日なのか?」と聞くと、「〇月〇日だ」と言う。
事故を起こした日からどれくらいっ経ったのか?聞くと「30数日経った」と言う。
「じゃあ、自分は30数日意識が無かったのですね」と言うと、「いえ?昨日も晩御飯を食べて、リハビリも受けてますよ?」と。
「はっ??自分は今、意識が戻ったばっかりですが??」と言うと、「いえいえ、事故後14日後に意識が戻り、ドクターとも自分たち看護師とも会話して、リハビリを受け、食事もされてますよ!」と言われたとか。
その男性は、どう言う事だ??と思ったとか。
武田鉄矢氏は、自論「心は頭にあるのではない」と。
そうして、「この男性の心が目覚めるまで、別の意識がその体を動かしていた」事に「おそらく内臓である」と言った。
つまり、腸内細菌・・・
この論は面白いと思った。
と同時に、自分の体を自分がコントロール出来ない瞬間と言うのはある。
ボールが飛んできているのが見えていても避けない自分が居たり、自分ではそんな事を思ってもないのに勝手に口から出てる瞬間などがある。
脱力したくとも力の抜き方が分からない自分・・・
自分でない自分がヒョイと顔を覗かせる瞬間。
僕らの中には既に自分でない自分の存在は常に居て、その自分でない自分が表に出てこないようにしている自分(本当の自分だと思っている自分)が居る。
面白い。
これは全員に居る。
火事場のバカ力なども同じ。
自分でない自分が表に出る瞬間と言うのがある。
それが内臓(腸内細菌)かどうかは別として、我々の中には常に複数の自分が居るのだろう。
別の人格が表に出て来ると、統合失調症であるとか認知症とか病名が付いてしまうが、普通の状態でも別の自分の存在がフッと出て来る事はある。
身体は意識の無いところで食べ物を下へ送り込んだり、消化させたり、病原菌をやっつけたり、傷口を治したりする。
既に自分でない自分がそれらをそうさせてくれている。
この身体は、自分一人のモノではなく実は複数の者によって生かされている。
自分だと思っている自分が代表して、自分の中に居る別の自分たちに感謝し、この身体を大事に使う。
そうして、自分とは独りではない事を知る。