観えない世界と観えてる世界

私達は観えてる世界を意識します。

しかし、私達を構成しているのは圧倒的に観えてない世界です・・・

 

一番分かりやすいのが、ご先祖様。

ご先祖様は観えません。

しかし、私を構成できたのはご先祖様が居たお陰です。

観えない世界が今を造って下さったのです。

 

内臓も観えません。

しかし、内臓が働いてくれてるお陰で身体は機能してくれます。

お肌を造ってくれているのも食べた物です。

それを肌まで運んでくれたのは血液。

血も体外に出ない限り観えません。

 

私達は毎朝、鏡を観ます。

そうして身なりを綺麗にします。

しかしそれは観えている所だけです。

お尻は観ません。

背中を観ません。

耳の後ろを観ません・・・

 

観えない所を他人は観ています。

と言うか、目に入るのは全身です。

私が観えてない部分を他人様は観ています。

圧倒的に自分が認知出来ていない自分を他人は観ています。

 

その自分が認知出来ていない自分を意識する。

ここは重要です。

 

観えている所さえも氣にしない人がいます。

例えば、お腹・・・

 

分かっていてもどうしようもない・・・と、服で胡麻化す。

当然、誤魔化せません。

全部、観えてます。見せてます・・・

 

観えない、観ていないだろうと自分が勝手に思い込んでいるだけで、世間は観ています。

自分事としてこれを読むと不快に思うかもしれません。が、他人の事はそう観てないですか?

その人の観えてない所をあなたは観てるでしょ??

他人が隠そうとしている所に氣づいてるでしょ??

 

観えちゃうんです。

隠そうとしても・・・

意識出来ていない所は観えちゃうんです・・・

 

自分が意識してない所も意識してみる。

そうすると全てが良く魅せれます。

 

どう見せるか?は、結局、自分が意識出来ない所をどう意識するか?です。

観えている所だけに意識を向けない様に。

観えない世界の方が重要です。

 

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