豊
同じ世界に居ても隣の人と見ているモノは違う。
受け取り方は異なる。
例えそれが兄弟であろうと、親子であろうと、恋人であろうと、大親友であろうと、夫婦であろうと同じではない。
意見の相違は必ずあるし、起こり得る。
違うからと自分の主張を押し通すのは間違い。
その空間に共存している訳だから、違いを認め、自分に無かった感覚は新たに増やして行く。
そんな感じでイイんだと思う。
意見の相違は、自分に新たな世界を教えてくれる。
その数はヒトの数だけ存在し、当然、全てを受け入れる事は出来なくとも、自分の中に増やす事は出来る。
増やせば「この人はこれを見るんだ」と出来る。
増やす事が出来ない人が否定したり、小バカにしたりする。
そうして、そう言う人は自分の主張以外を受け入れない。
それはそれでイイと思う。
こちらは「そう言う人も居るよね~」で終わり。
受け取り方は人それぞれ。
自分が正しい訳ではなく、その人にはその人なりの思いや考えがある。
僕らはどうしても自分の世界に人を入れ込んで考えがち。
故に入れない人に出会うと拒絶する・・・
拒絶は自分の世界を狭くする。
切り取り。
そうやって自分と考えの違う人を切り取って切り取ってして行くと、世界はドンドン小さくなる。
受け入れが小さくなるので、当然、器は小さくなる。
小さくなるから気に入らない事が増える。
自分の世界にハマる人以外は、全切り!!
しかし、最初から言っている様に見ている世界は全員違うので、自分の中に入れた人のある部分は自分と考えが異なっていた事を知った時、その人さえも切る選択をする・・・
僕は若い頃、こうした生き方をしていた。
成長と共に色んな事が分かる様になり、切り取って切り取てしてきた自分を恥じた。。
今でも全てを受け入れようとは思っていないが、出来る限り知る様には努めている。
意見は合わなくても良い。
だって見ている世界が違うんだから。
拒否するのではなく、嫌う訳でもなく、見ている世界が違うんだと言う事を知る。だけ。
その中にそれは取り入れた方が良いかも?ってモノがあった時には受け入れる様に努める。
人生50年にして、ようやく器を広げられて来ている。
故に、人の考え、主張を聞くのは楽しい。
「なるほど!そこを見たんですね!!」
【あなたの知らない世界】を教えてくれる人の話は僕を豊かにしてくれる。