見えない世界の存在
治療中、クライアントが聴きます。
「先生、手から何か出してます?」
「出してますよ♪」
即答。
「なんか、電気で温めてもらってる感じで、ビリビリ伝わって来ます!!」
ほ〜!そう感じるんですね♪♪
「昔、氣の治療をしてもらいに行ってましたが、その時には感じた事がない感覚を感じます!!」
へぇ〜
「氣の勉強をした事がないので、これが“氣”か?と聴かれれば、「そうかも知れません」が答えです。ですが、エネルギーは出してます!ってか、それは練習をして来たので♪」
※氣のセミナーには2回ほど参加した経験はありますが、その時は被験者にもなってないし、「こうやって出すんだ!」とかの練習もしていません。あくまでも先生の話を聴きながら、セミナー参加常連者の人のを遠くから見てただけ。
別のクライアントに言います。
『〇〇を感じました。だから術中に「身体が鈍いとか感じますか?」って聞いたんです。けど、その時には「無い」って言われたので、違うのか?って思いましたが、でもやっぱり〇〇ないですか?』と、改めて聴くと『あります』と。
こうした事は、分かるんですよね。
クライアントが答えなくても。
身体が伝えて来るんです。
『身体が伝えて来る??』
『はい!こうしてAさんと会話してても、手はコミュニケーションを取ってます。なので、耳で入る情報以外に、手からも情報を聴いてます。だから、ここ、痛いですよね♪』
『はい』
全てコミュニケーションツールです。
耳も目も、皮膚も手も、そうして空間も。
施術中、話したく無い!オーラを出している方がたまにおられます。
又は、今、必死に盗もうとしてます!(技術を)の方もおられます(笑)
全部、分かってます。
けど、話しかけます(笑)
すると相手は、それに答えてしまうので、次第に言葉と身体がリンクして、こちらにはどちらからも正解を教えてもらえます(笑)
耳だけのコミュニケーションは嘘や話を盛ってる場合は気づけません。
が、オーラを見てると分かります。
また、触れてたらもっと正確に分かります!
言葉以上に分かるんです(^^)v
これを人はスピリチュアルと呼ぶのかも知れませんね。
けど、分かりようになるんです(^^)v
あなたは、診てもらいたい側?
それとも、見える(分かる)様になりたい側?