自分
受け取り方は人ぞれぞれ違う。
その人の中に『有るモノ』で世界を観るので、『無いモノ』は見えない。
『有るモノ』でしか世界は見えない。
見えなかった世界は、『有るモノ』の世界から出た瞬間から観える。
『無いモノ』を増やそうとしても、『無いモノ』は観えないので探しても”無い”。
なので見つからないし、そもそも氣づけない。
と言う事は、『有るモノ』の世界から出た方が早い。
すると『無いモノ』が見つかる。
流行りの食べ物でも、服でも、車でも、スマホでも・・・
流行ると見えてくる。
『あっ!あの人も持ってる!』
『同じ服装だ!!』
流行りは強制的にマスコミやマーケッターが広めるので、見えないかった世界を観える化してくれるから、僕らの脳に残る(有りになる)
脳に残る(有り)になるから、もうそれが見えるようになる。
今までもずっと有ったのに(笑)
誰かに教えられれば当然、現れる。が、それは結局、誰かの力を借りない限り、自分の成長はない。
操られる可能性の方が高い。
なので自分で見つけないといけない。
けど、見つけようとしても、『無いモノ』は観えない(笑)
『有るモノ』とは先入観であり、自分の中での興味や価値観や体験した事。
それらが向かない(無い)モノは、目が向かない。
目が向かないから、真横に有っても氣づけない。
故に、『有るモノ』の系から出ない限り、絶対に見えない。
世界を広げる為には、その世界から出ないといけない。
出た瞬間から、世界は無限だと氣づく。
その無限の世界とは、自然。
自然とは、川であり、石であり、山であり、動物であり、魚であり、昆虫であり、空であり、雲であり、雷であり、星であり、宇宙であり、人である・・・
その自然から分かれた存在。
世界とは、自分だと氣づく。