自分を満たす
誰かに褒めてもらったり、勇気づけられたり、背中を押してもらったり・・・
誰かの支えがあれば強くなれます。
じゃあ、それが居なかったら??
支えてくれる存在が居ない人は弱いままなのか?
支えてくれる人が見つかるまで、ずっと彷徨っていないといけないのか??
僕はずっとネガティブで、人の発言に対していつも否定的な回答をしていた。
だから嫌われてたと思う。
けやき整骨院を開業する少し前から、ブログを始めた。
最初は授業で習った事で面白いなと思った事を書いていた。
開業と共に内容は変わって行った。
僕はネガティブだったので、否定的な事や批判する事も書いてるだろう。
心が折れそうな時は助けを求める事もあった。
が、それを読んでる方が「この整骨院に行こう」そう思うか?と感じた時、そう言う事を表に出す事に違和感を感じ、それを止め、自分を肯定(褒める)事ばかりを書いた。
それを書き続けていると、クライアントから喜ばれる事を追う様になっていた。
喜ばれている言葉を追ってると、いつしかそればかりを追いかけてネガティブを観なくなっていた。
あれだけ人の言葉に直ぐに反応し、否定的な言葉をかけていたのに、応援し、支え、喜ばれる側になっていた。
僕らは結局、誰かに褒められたい。
認められたい。
何より、自分が前向きになりたい。
それを外に求めている。
しかし、氣づくのは、誰かを支え、喜ばせ、幸せにしてる言葉とは、一番身近な人が一番聞いているんだと言う事。
最もそれを聴いているのは【自分】自身。
外に求めていたモノは、実は自分の中にあり、自分の声によって自分が出来上がっている。
応援してくれる人、喜ばせてくれる人、愛してくれる人、幸せにしてくれる人・・・
それらは結局、自分が相手にそうしているからそれが返ってきているだけの話。
それを提供してなけば、ただ相手から奪うだけ・・・
相手だってその言葉を欲しているのに・・・
自分だけが『くれ!くれ!』になって、相手にはその100分の1しか提供してない。なんて・・・
相手(周り)にそれが提供しているから、相手はそれを言わなくて良くなる。
安心できる。
相手も幸せになれる。
自分一人が欲している訳ではない!!
自分を幸せに出来るのはパートナー(周り)のお陰ではない。
自分が創るからそうなるだけ。
『そう思ったら、そう』
幸せだと氣づけるのは、自分が氣づくから。
相手に何かをされたから幸せだと氣づくのではない。
『幸せだ』と言う心が幸せを感じさせてくれる。
故に、何も提供してないのに自分だけが『くれ!くれ!』では相手は言い続けないといけない。
無駄なエネルギー消費ばかりをさせている。
私が幸せになりたいのなら、相手を幸せにしたいなら、自分に良い言葉をかける。
自分に良い言葉をかけるとは、相手にかけている良い言葉を自分が一番よく聞いていると言う事に氣づく事。
ポジティブで居ようとするのではなく、(相手を)ポジティブにしてあげる。
その数が多ければ多いほど、結果、自分が満たされて行く。
逆に考えたら分かるでしょ?
相手を喜ばせ続けてて、相手が常に否定的な言葉を返して来たら、それって幸せ??