自分と自分以外
相手の事を理解しようと思っても、理解出来るのは【自分の中にある】部分だけ。
なので【無い部分】は理解が出来ない。
親、兄弟であっても【無い部分】があるので理解し合えない。
一卵性双生児であっても同じ。
皆んな【受け取る】部分が違う。
その自分が【受け取った】部分でしか世界を観れないので、自分が【受け取った事が無い】部分を他人に観ると相手を理解出来ない。
世界とは、自分と自分以外で出来ている。
なので世界の圧倒的大部分を知れない。
大部分を知れないのに『自分はなんてつまらない人間だ・・・』などと自分さえも理解しようとしなかったら、そりゃ迷子になる。
自分を知ろうとせず、自分以外を知ろう(理解しよう)とするから迷子になる。
自分の事を一番傍にいる『自分』が一番自分を観ていない・・・
自分を知る。
自分の『今』を知る。
何を思って、どう考えているのか?
その想いがどう今後に活かせるか?繋げるか?
心もそうだが、身体も同じで、自分の身体がどうなっているかを自分が知らないとマインドは付いて来れない。
身を以て知るから心も付いて来れる。
自分を知る。
出来ていると思っているが、自分の事さえほとんどの人が知れてない。
大谷翔平やイチローの様に、自分をしっかり見つめない限り、いつまで経っても自分と言う迷路で彷徨う・・・
そうして、人と比べてマウントを取りたがる。
人はヒト。
自分はジブン。
人を認め、自分も認める。
人を知り、己も知る。
全て大切な存在。