好き嫌い

人は、自分の意識の向く所しか観れない。

 

それは対人でも同じで、自分が好きな部分、嫌いな部分にしか目が向かない。

往々にして好きな部分は『真似したい』で終わる事が多い気がする。

なので、それは”その人”の好きな部分ではなく、”自分”が好きな部分に注目するので対象は相手ではない

一方、嫌いな部分は対象は”自分”の嫌いな部分ではなく、対象は”相手”となる

 

面白いモノで本来は自分の嫌いな部分な筈なのに、相手に向けられ相手を嫌い始める。

そこにばかり意識向くので、相手の良い所を見い出したとしても、相手が『好き』にはならない。

直に嫌いな部分を見つけ出し、『この人、嫌』として観る・・・

 

本来は、”自分”の好きな部分・嫌いな部分の筈なのに、好きは自分で取っといて、嫌いは相手にぶつける。

”自分”が嫌いなだけで、相手ではない筈なのに。

 

嫌いを相手にぶつけるのではなく、自分にソレがあるだけだと認識すれば、相手が何を持っていようが関係ないはず。

相手は相手であって自由な選択が出来る。

その相手を好きだと言う人がいるのは事実!

 

そこしか見てないこちらの問題。

 

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