シューニャ
『空』とはサンスクリット語の『ゼロ』を表す言葉『シューニャ』から来ている。
仏教における『空』とは、無と有、否定と肯定の両方の意味を持つ。
見ようによっては何も無い。
しかし、そこには全部ある。
自分が何を見ているか?何を見ようとしているか?によって見方が変わるし、見ようとしなければ何も無くなる・・・
結局、自分次第。
先月から『空』を感じていた。
それはここ最近、強く感じていた。
東大で起こった事件。
誰かが『寂しさ』から犯行を行ったのではないかと言ったが、『空』を感じればそう感じる事もあるだろう。
株価が急落している。
これも多くが『空』を感じているからだろう。
『空』は何も無いではない。
しかし、『何も無い』と意識した瞬間からその世界しかないと思い始める・・・
この世は、何も無いが全部ある。
全部あるけど、何も無い。
色即是空
空即是色
僕らは『色』、つまり、色々ある事を感じる為に肉体を持った。
肉体とは感じる感覚器。
観て
聴いて
味わって
匂って
触れる・・・
何も無い世界の『全てある』を感じる為に生まれて来た。
自らが『何も無い』を感じていてはいけない!!
感覚器を持って生まれた僕らが『何も感じない』を選んではいけない。
『ある』事に感謝。
肉体に感謝。
関わる人に感謝。
居てくれる事に感謝。