頼ると使う
人は頼られると頑張ります!
しかし、使われていると感じるとその人と距離を開けたくなります。
やってる事は同じでも、言葉の端々や態度、関係性で【頼られている】か【使われている】か分かります。
仮に【使う】としても、それなりの対価があればいくらでも使って欲しいと思います。
『対価』とは必ずしも『お金』とは限りません。
それは『感謝』でもイイ訳です。
私は使われる事は別段、良しとしてます。
利用されるなら利用して頂いて結構です。
しかし、そこに『対価』が伴わず、自分の都合の様にように”ただ使う”と感じた時には相手と距離を開けます。
ってか、付き合いたくなくなります。
この世は【写し鏡】です。
そうするから、それが返ってくる。
どうせ使われるなら、それ相応の『対価』は求めます。
誰かに何かをお願いする時、自分が相手を頼っているならそれなりの態度となる筈です。
しかし、使うとなると話は別です。
使うとしたら、”ただ使う””ではあなたはいずれ何も得れなくなり、周りからそう観られるので自分で世界を狭くさせて行きます。
なので遠くの人と付き合うしかなくなります・・・
しかし、遠くの親戚より近くの他人と言う言葉がある様に、遠くの人では結局ダメなのです。
近くにいる人、その人を大切に扱わなければ、自分は大切に扱われません。