承認欲求の重要性
人間の欲求の上位に承認欲求がある。
✅トイレに行きたい
✅家が一番安心する
✅愛されたい
そんな欲求よりも上位に来るのが、承認欲求。
つまり、存在を認めてもらいたい。
名前を間違えられる事や、忘れられる事。
返事をされない事や、触れられない事・・・
これらは存在を軽視(無視)されていると認識し、上位の欲求が満たされない。
すると人はどうなるか?
かまってちゃんになるって事。
自己アピールを必死にしてきたり、奇をてらったり、必死に自己アピールをしてくる。
それにより良きも悪しきも認知され、それにより己の上位欲求を満たす。
それが行き過ぎると、変人状態が自分と認識し、逆に人が離れて行くのだけど、自分は承認欲求が満たされていると勘違いし、それを続ける。。。
それはそれで悪い事ではない。
僕が言いたいのは、そこではなく、相手の承認欲求を満たしてあげないと、それはいつしか自分に戻って来ると言う事。
自分ばかりがそうやって承認欲求を満たしていても、相手もそれが出来るか?と言われれば違うので、自分がそうなので相手にも同じ事を求めていても無理。
自分がされてイイ事は、相手にもしてイイ事ではない。
しかし、多くが相手にもしている。
結果、相手の承認欲求を満たさず、いずれこちらの承認欲求も満たせなくなる。
何が言いたいかと言うと、相手の承認欲求を満たしてあげないと、こちらの承認欲求も満たせないと言う事。
相手の言う事にイチイチ反対の意見を言っていたりすると、相手を否定する事になり、結果、相手はこちらに話しかけなくなる。
つまり、軽視が始まると言う事。
良かれと思って自分の考えを相手に伝えるが、相手には相手の考えがあり、相手がこちらの考えを受け入れられない時は相手の”私の認めて欲しい部分”を否定しているので相手の承認欲求を満たして上げれてないので、相手はつまらなさを感じ、自分の考えに同調してくれる相手を探しに行き、そこと仲良くなると言う事。
長年連れ添う夫婦とかによくある、「旦那とは旅行へ行かないが、女友達とは旅行へ行く」のは良い例で、自分の承認欲求を満たしてくれる相手と仲良くする。
自分の上位欲求が満たせなければ、心は乏しくなり、いつしか自己アピールをし始める(大声を出す・すぐ切れる・わがままになるなど)
それらの自己アピールは、相手は更に嫌い距離を開けるが、それも結局、自分が相手の承認欲求を満たしてあげなかった結果。
因果応報と言う言葉がある様に、この世は写し鏡であり、自分のやった事が現実化している。
相手の承認欲求を満たしてあげていないと、いつしか自分がその立場になる。
反対の意見を言うのは簡単だし、自分の考えを伝える事も簡単。
しかし、それが毎度毎度だと相手は話しかけるのも嫌になる。
女友達同士が居心地良いのは、話を聞いてなくとも、アドバイスがなくとも、「そうなんよね!」「分かる~」と同調してくれるのが心地良いから(承認欲求を満たしてくれる)
人の上位欲求である”承認欲求”は、幼子であっても同じ。
揶揄っていると面白くてカワイイ💖って思いがちだが、それらはその子の承認欲求(ちゃんと一人の人間として向き合って欲しい)を満たしてくれないので最初は楽しそうにしているかもしれないが、繰り返されると怒るのはそう言う事。
ちゃんと向き合う。
ちゃんと返事してあげる。
ちゃんと触れ合う。
相手の承認欲求を満たしてあげる。