くれくれ

アメブロの方にオキシトシンの事に触れた。

「触られる側にオキシトシンが分泌されるが、触るこちらも分泌されている」

私達は何かしてあげたら、相手からの見返りを求めている。

しかし、何かをした時点で既に“反応”としてこちらに戻って来ている。

施術によるオキシトシンの分泌で考えてみると、触ると言う行為は、触って「あげた」があるが、相手側の視点には、触って「貰ってる」と逆に触れて「あげた」もある。

つまり、こちらも既に「貰ってる」

一方的な視点で見るから「貰った」に氣づけず、つい「クレクレ」になっている…

 

相手に触れた時、触れた感触がこちらへ戻って来る。

触れた時に触れた感触が戻って来なければ、それは妄想だよね?

今のVR技術などが凄いのは、触れた感触が戻って来るから凄いとされてるんだよね?

戻って来なければそれはただのテレビゲーム。

面白いけど、すぐ飽きる。

しかし、反応として戻って来るから面白い!!

 

私達が『人間』と言う形であるのは、触った時に自分に”それ”が戻って来るから。

鏡で見た時、そこに自分と同じ動きをするのが見えるから。

声を発した時、自分の発した音が聞こえるから。

それが全く感じられなければ、自分を認識出来ない・・・

 

相手を触って『相手が認識出来る』という反応を既に貰っている。

相手にしてあげた時点で、”反応”と言う形で既に貰っている。

 

逆に、してもらった時、こちらが何も反応しなければ、相手は何も戻って来ないので、存在を認識出来ない。

そんな相手に尽くしてくれる事は無い。

こちらとしても何かしてもらった時、ちゃんと反応しなければ、それは相手を否定している事になり、それはいつか必ず自分に返って来る・・・

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。